その12 離人体験について(4)

(2)において、覚醒時と睡眠時の意識に質の差異がなくなり、就寝時においても常に意識の一部が目覚めている感覚が続いた体験について書いた。

 

離人症の発症からしばらくして出会った本「憑霊の人間学」(佐々木宏幹・鎌田東二共著 青弓社神道系の行もされる宗教学者鎌田東二さんの次のような体験が掲載されており、自分の体験に似ていると思ったことがある。

 

『「魔」を目撃したと思い込んだ日から四日ほどのち、寝入りばなに大脳の中心部で光が炸裂した。眠りにおちいる瞬間に身体がピクッと痙攣することがあるが、その瞬間に脳内でパチンとものすごい音がして光がそこからはじけ飛んだのである。その炸裂の勢いで私は飛び上がるようにしてはね起きたが、その日以来、一睡たりとも眠ることができなくなってしまったのである。』

 

『そのときの感じをたとえていえば、眠りに入るコツを完全に忘れてしまったのである。というよりも、私の身体が、あるいは私の脳が眠りに入る回路を破壊されその方法を忘却してしまったといった方が正確かもしれない。(略)病院に行けば、「魔」を目撃した話をせざるをえず、そうすると医師はまちがいなく私を精神異常をきたした者と診断し、精神科の患者に仕立てあげるであろう。こうして、語ることのできない苦しみをこのあとしばらく味あわざるをえなかったのである。』

 

『しかし、眠れなければ頭がパンクしてほんとうに気が狂ってしまいそうになる。眠れないということは、意識が四六時中休むことなくうごめきつづけ、そのことを自分が意識しているという状態がつづくことである。つまり、ほんの一瞬たりとも意識をとぎれさせることができないということである。』

 

『眠るということは、意識の活動を忘却することができるということである。(略)忘却するすべを見失ったとき、何が起こるかといえば、通常意識と夢と幻想や妄想との境界がとっぱらわれ、文字どおり、見境がなくなる。しかし、その幻想や妄想というものが通常意識と区別がつかず、やたらにリアリティがあるのだ。(略)禅の世界ではこれを「魔境」という。』(前掲書 P191~194より抜粋)

 

通常の覚醒時の現実感が失われた反面、睡眠時の夢の方に強いリアリティが生じたことや、(3)で書いた時間の切り替わりがなくひたすら同質の意識状態が続くことなどを含め、自分の体験したことに極めて似ていると思う。これが日本で出版されている書籍で出会った唯一自分に似た体験を記したものであった(同様の体験をした人は他にもいる筈であるし、今ではネットを探せば体験談があるかも知れない。実際に昔「離人症」で検索したところ、自分が知らない体感異常などの体験談 -不思議の国のアリス症候群というらしい- はしばしば見かけた)。

 

 

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●どのような症状があったのか(続き)

 

離人症状、体感異常の他に形而上的観念における葛藤とでもいう体験があった(他によい表現を思いつかない)。

 

発症後のある時期に自分はいつか必ず死ぬという自覚に真正面から直面し、その恐怖のうちにやはり四六時中晒され続けることになった。健全な人間が言葉の上で当然のように考える死とは異なり、誰でもない、まさにこの自分がいつかは必ず死ぬのだ、という切迫感を帯びた自覚に直面させられたのであった(この体験がかなり後になりハイデガーなどを読み始めるきっかけとなった)。これはパニック障害などで言われる今にも死んでしまいそうな恐怖とは異なる性質のものだ。当時思いついた例えとしては、こんなものがあった。

 

自分は建造中の高層ビルの外部に張り出した仮設の足場の上を歩いている。足場はちょうど私一人がやっと歩ける程の巾であり、中空に向かって延長している。自分は嫌でもその足場を歩み続けなければならない。数メートル先か数十キロ先かは分からないが、足場は必ず途中で中断している。自分は中空へ投げ出され落下してゆく覚悟をしておかねばならない。

 

これがまさに現実に迫る出来事のように自覚されていたのであった。今まさに死んでしまうかもしれないといった切迫感ではなく、私という存在が必然的に死を条件付けられている事実を恐怖したのである。この時、一般的に人の言う死とはその人以外の誰かの死であって、決して「誰でもないまさにこの私の死」のことではないのだと気がついたのであった(この時まだハイデガーは全く読んでおらず他の西洋哲学についても初学者向けのごく簡単な入門書を読んだことがある程度であった。ただし三木清のエッセイと「パスカルにおける人間の研究」は学生時代に読んでいた)。なぜ他の人々は死という絶対的な条件に晒され、平気で生きていられるのか不思議でならなかった。結局はこの体験が後の自分のいわば「原体験」、「基準点」となり、回復後も常に来るべき死との距離を測りながら自身のあり方を自覚してゆくという生き方の基礎となる。しかしそれはまだ後の話だ。

 

離人症発症で自分が自分であるという感覚を喪失しているにも関わらず、なぜ自分の来るべき死を恐怖することになったのかはよく分からない。むしろ表層の自我が失われたことによりさらにその深奥にある何ものかがむき出しになり、死の自覚に直に直面させられたというような感覚があった。この頃もまたこの恐怖に常に脅かされながら、出勤をし稽古場へ行きまた学生時代からの友人と会ったりしていた(学生時代の友人には離人症を発症したことについては話していた)。完全に内面と行為する自分とが分離していたのであった。

 

そしてこの自覚には次の局面があった。自分は確かに死ぬという自覚は次第に死は自分にとって終わりではないという自覚(恐怖)に変化して行ったのだった。これは今思えば先述のように時間が途切れず常に同じ質感で継続している感覚の延長であろうと思うが、死は私にとって決して終わりではないという予感が芽生えたのであった。

 

これが自分にとっては最も脅威であり、恐慌に陥れた観念だったかも知れない。この事は、現在継続している異常な苦悶が死んだ後も続く、死んでも終わらないことを意味するからだ。いざとなれば自分で命を絶って事態を終わらせるという手段が無効化することでもあり、この宇宙(世界)において逃げ場はどこにも存在しないことを意味する。この絶望と恐怖感は大きなものだった。

 

さらにこの絶望は宇宙に限りがないこと(つまり「無限」)や、「永遠」への恐怖へと変化していった。通常の生活では知覚できない「無限」や「永遠」の観念が平気で成立していることにも何かとても不可解なものを感じるのだった。

 

(続く)