その21 離人体験その後(1)

 

●だめ連・早稲田あかね・障害者介助との出会い (続き)

 

前回の話の続きではあるのだが、自分としてはこの辺りから離人症クンダリニー症候群の困難とは異なった「ステージ」に入った感触があるので、見出しのタイトルを変えることにした。

 

結果として障害者介助の仕事はなかなか面白いものだった。これはひとえに最初に関わった利用者さんが地域で在宅生活をする筋ジストロフィー患者のO氏であったからだと言える。O氏とは年齢が同じでもあり、また他のやはり世のはみ出し者のような介助者の面々とともに試行錯誤しつつ生活を支えてゆく日々は楽しいものであった。

 

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「あかね」でのエピソードで思い出したことがある。

 

ある夜Pさんが店番をしている日に訪れると、妹が生前好きだった曲だと言ってカウンター上に置かれたミニコンポでSonny Rollins(だったと思う)の “Everything Happens To Me” を再生し、聴かせてくれたことがある。その時にある記憶が甦った。

 

自分は学生時代に清水靖晃&サキソフォネッツ「北京の秋」に収録されている同曲とRollinsのこの演奏がとても気に入っており、設ちゃんにも教えた記憶があるのだ(曖昧な記憶だが)。ひょっとしたらこの二つの演奏を録音したカセットテープを貸したことがあったかも知れない。カウンター上の再生機からこの曲が流れた時、ああ彼女も気に入ってくれていたんだな、というしみじみとした思いが沸き起こった。

 

 

Sonny Rollins - Everything Happens To Me

www.youtube.com

 

 

清水靖晃&サキソフォネッツ - Just One Of Those Things

こちらはYoutubeに同曲が見当たらないのでアルバム「北京の秋」から別曲を。

www.youtube.com

 

もう一点、Pさんのお誘いで金沢の海岸へ行く際に、S夫妻のお世話になったことをここに書いておきたい。夫妻には下肢に障害を持つ小学生の息子がおり、金沢へはご主人の運転する車に同乗させて頂いた(金沢へは息子さん -L君という利発で活発な男の子だったが既に成人!しているのではないだろうか- は参加していなかった)。それが縁となり以後しばらくの間しばしばS家を訪れるようになったのであった。他にも「あかね」経由でボランティアとしてL君の学校行事などに関わりSさん宅に出入りしている人々もいたのであった。

 

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このblogの以後の見通しとしては、障害者の介助に携わり、これもある偶然から住処を入手することが出来独居を始める、父の看取りの体験、ALS患者の介助に携わり挫折、再び処世の活動から距離を置く、そして現状までを書いておきたい。離人症の発症を第一の(世界からの、という意味も含め)「解離」体験だとすると、現状は第二の「解離」状態と看做せるのではないかと気づいたからである。そこまで書いて離人症/クンダリニー症候群体験記の終わりとしたい。

 

(未推敲・続く)