その15 離人体験について(7)

天竜川流域(長野県下伊那郡の山中)で自給自足生活を営む夫妻を訪れたこと(続き)

 

三千代さん夫妻が二人だけで何年もかけて建てたという立派な和風家屋は山の傾斜地にある僅かな平坦地に建てられており、隣には別棟の風呂場、そして移住してきた当初住んでいたという小さな家屋があった。水は湧水をやはり自分達で引いて来、電気も通っており意外な事にテレビもあった。米以外のほとんどの食料は川で捕れる魚や畑の作物、山中で採れるもので自給しており(蜂蜜を採るための養蜂箱もあった)、時に採れる蛇や松茸などで現金を得ることもあり、物々交換をすることもある様だった。

 

到着した日の晩にご主人から日本酒を振舞われ(某酒造会社から直接買っているという添加物なしのもので驚くほど美味であった)、この地での生活の話やご主人が興味を持つ東洋医学代替医療)などの話も聞いたように思う(なにしろ離人感が酷く話の内容が記憶に残っていないのだ)。その流れで一言、ご主人が発した言葉があった。

 

「今の文明社会はね、すべて間違っているんだよ」

先述のように自分にもすでに現代社会への疑念が生じていたこともあり、また常に己や己の運命、そして世界のすべてに不穏な気配を感覚していたこともありこの言葉が自分にとっての決定的な宣託のように響いたのだった(数年前であれば極端な意見であると思ったであろう)。そして不吉な予感と共に思ったのである。自分はこの言葉を聞くためにここへ来たのではないかと。

 

三千代さんは自分のために大きな蚊帳を吊ってくれ、夫妻は隣の小さな家屋に移動していった(どうやら寝室として利用しているらしかった)。真夏であり窓などはほとんど開け放たれており、自分の住んでいる地域では見ないような大きな蛾やその他の多くの虫が蚊帳の外に止まっていた。飲み過ぎたのか気分が悪く、先ほどの言葉を聞いたことによる葛藤、そして相変わらずの覚醒時と就寝時の意識の差異が失せた状態がある中でそれは起こった。突然身体が破裂し四方へ飛び散るリアルな感覚に見舞われたのであった(破裂時に光を見たようでもある)。自分が自分であるという感覚がさらに失われたように感じられ、恐怖と絶望の中でまんじりともせずに夜明けを待つしかなかった。自分がここへ導かれたのだとするならば、この出来事は必然であり自分は完膚なきまでに精神を破壊され、行き着く先は気が違うか自分で命を絶つ運命なのではないだろうか。

 

 

さすがにこれは病院へ駆け込むべきだろうかとも思ったが、いずれにせよまずは山を降りねばならず直ぐに病院へ辿り着けるわけでもない。さらに言えばどのようにこの恐怖を訴えればよいのかも判らない(このような場合に人事不省に陥るなり、気絶するなり、半狂乱の状態に陥るなど出来れば外観的には何らかの異常事態が起きていることが分かるのだろうが、どれほど異常な体験に見舞われようが意識と判断力は明瞭なままであるのが常であり、残忍な拷問を受けながらも失神することの許されない虜囚のようであった)。いずれにせよ予定よりも早く東京へ帰ることに決め、強まった離人感と不安感を抱いたままその日は万古川(天竜川の支流)でご主人の投網に同行した。

 

周辺に住んでいるのは三千代さん夫妻の他は川近くに住んでいる男性だけであり、河川敷に人の痕跡はなく大きな鹿の足跡などが残っていたりする。周囲を森と崖に囲まれたほとんど人跡未踏のような河川敷に持参したカメラを向けながら(せっかく訪れたので写真は撮っておこうと思ったのだ)時に洲の上に立つ自分の足を眺め、自分はこれからどうなって行くのだろうか、自分が自分であるという感覚は取り戻せるのだろうか、現実感は戻るのだろうか、この後いつまでもこの状態が変わらず生き続けるのだろうか、などと途方に暮れたことを思い出す。

 

                   ★

 

結局その次の日かさらにその次の日に東京へ帰るのだが、三千代さん宅に出入りしていた山の犬(かつて誰かに飼われていたものが野生化したらしい)に道案内をされ山を下ったことは以前mixiにも書いたことがあり先の記事(6)でTwillogをリンクした先にもその犬の写真が残っている。

 

こうして書いてみると散々な訪問だったように響くがこのように山中で自給自足生活をする夫妻やその家屋、天竜川流域の自然を訪れた経験はいまだに自分にとって貴重なものであり後悔はまったくしていない。また訪れたいとさえ思っているのだ(本当は農作業の合間のおやつ時に頂いた三千代さん手製のケーキについても書き残しておきたかった)。

 

後日談として、自分のこの訪問がきっかけとなり母と三千代さんは再び手紙や電話で交流するようになり(季節になると山で採れるもの -ときに大きな松茸だったりもする- を実家に送ってくれたりもしている)、かなり後になりついに自分の実家で母や伯母たちと三千代さんの再会が実現した(その頃自分はすでに独り暮らしをしていたので実家へ行き自分も再会した。その後ご主人は亡くなったと聞く)。

 

 

(推敲なし・続く)