その17 離人体験について(9)

 

●夢について、続き

 

これまでに書いたような体験を先述のように「形而上的な悪」に触れた体験とすると、一方で短期間ではあるが心身の緊張が解け軽度の恍惚状態を維持していた期間もあり(「法悦的状態」)、次にそれについて書きたいのだが先の天竜川流域での体験は夢についての話題の延長であり、さらに当時の夢について思い出したことがあるのでここで書いておきたい。

 

離人症が発症する少し前から自分の身に何か忌まわしい事が起こるのではないかと不安を抱き、また突然身辺整理の欲求が生じ部屋を片付け始めたことについては既に書いた。その時期に見た夢だ。

 

 

○当時通っていたモダンバレエの稽古場には同じ年齢の社会人女性がおり、仲が悪かったわけではないが一種のライバル関係にあると言ってよかったと思う。しばしば同じ企画に出演もしていたのであった。その彼女をビルの高層階にあるエレベーターの孔から誤って突き落としてしまう夢を見た。エレベーター本体が到着していないまま扉が開いており、どうした事かそこへ彼女を突き落としてしまったのである。孔の下方を覗くが暗闇が見えるだけであり、彼女がどうなったのかは判らない。これはまずいことになったと強い罪悪感と不吉な感覚に見舞われ、夢から醒めた後もこの不吉な感覚が続いた。

 

○当時の自宅のあった敷地近くの公道の地下に這ってやっと前進できるほどの狭い通路が張り巡らされている。上部にはところどころに小さな丸窓があり、地上が見える。

 

どちらも地下と関係する夢であることに何か意味があるのだろうか。ひょっとするとこの夢のうちのどちらかが離人症を発症した当日に見たものであったかもしれない。

 

               

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●「法悦的状態」について

 

先述のようにこれまで書いて来たような症状や体験とは反対に、離人感は継続しているものの短期間ではあるが心身の緊張が解け、寛いだ心境になることもあった。ちょうど春先であり、季節感が心身に直截的に浸透してくる感覚があった。自我と現実感が消失しているだけあって春特有の心身が浮つく感覚に全身を乗っ取られているようで、心身の緊張が解けているとはいえ正常な季節感とはかけ離れており、現実から隔絶されてしまっている不安感や身体各部の硬直化・感覚鈍磨も依然として残っていた(この頃に女性ボーカルの入ったあるボサノヴァの曲をよく聴いていたのだが、その曲は今でも当時の不自然に心身が浮つき落ち着かない感覚 -ひょっとすると性的な感覚と関係があるかもしれない- が思い出され、聴くのが辛い)。

 

風に揺れる木々の枝を眺めていると、これまでよりもゆっくりと、そして細部が明確に見える。そんな時期に音楽を聴いているとしばしば体験したことのないような至福感が訪れたり、音楽に光のようなものを感じたり、全身が特有の(ポジティヴな)ムードに満たされることもあった言語化が難しいが共感覚的な体験でもあった。実はこのあたりの感覚も強度こそ当時のままではないが、今でも音楽を聴いている際に思い出すことがある。ちなみに当時聴いていた音楽は Michael Nyman , Astor Piazzolla , Jaco Pastorius , Weather Report , Milton Nascimento など)。

 

この時期は「形而上的な悪」、世界に遍在する形而上的な邪悪さの気配から解放された感覚があり、また人には労働を含め絶対的な義務などなく、何もせずまた社会と全く関わらずとも生きていてよいのだという観念が生じてきた。これまで自分は自身の内的な欲求からであれ社会通念の影響であれ何事かをしなければならないと強く思って生きてきたのだが、それは固定観念であり真実には人は何もしなくてもよい、労働や自己実現の義務などない、との観念に満たされたのである。

 

こうして書いてみるとそれなりに正当性のある観念のようであり共感する人も少なくないように思えるが、実際には心身が一応は健康な働き盛りの人間が生業を何も持たずに、また社会との関わりを全く断って生きてゆくことは命を絶ちでもしない限り現代社会ではほぼ不可能なのであり、これもまた現実から乖離した、潜在意識的なユートピアの希求であったのではないかと思う(また「形而上的な悪」の体験と同程度に根源的なものとは思えず、幾分表層的な局面のようにも感じられていた)。少なくとも、緊張感が解け寛いだ心身の状態に反して社会的にはますます生きて行くことが困難になることは明白であった。

 

(ただしこのように自分には思えた -妙なことだがこのような観念がいわば宣託のように突然湧き上ってきたというのが実状だが- とはいえ、実際に同様の考えを持ち生き方を模索する行為を否定するつもりは全くない。むしろ当時よりも価値観の多様性が顕在化した現代において、完全には無理であっても可能性の模索は許されるべきだと思っている。また人間にとって絶対的な義務はないという観念は仏教的な文脈では真理であるようにも思う。)

 

当時の自分はこのまま自我と現実感を失ったままで生きていられる手段として、ホームレスとして生きてゆく可能性を考えたのであった。むしろ、現代社会を否定しつつ社会的には廃人と化した自分が依然としてこの現世から逃れられないのであれば、ホームレス以外の生き方はあり得ないのではないかとさえ思えたのであった。丁度この頃は当時働いていた個人経営の設計事務所での契約が切れた時期であり、次の仕事を探さねばならない時期でもあった(無職であった期間は半年ほどであったように思う)。当時同居していた両親との関係は最悪であり、無職のままで家にいることは到底許されることではなかった。

 

(推敲なし・続く)