その5「The Shape Of Water」の Sally Hawkins

相変わらずの宙吊り状態が続く。どうもこれまでよりも現実に近い方向に「着地」するのではないかと思えてきた。内的な領域とのバランスの取り方と言おうか往還が楽に出来ると嬉しいのだが。シュタイナーのような人がその辺りの心の仕組みについて書いていたりしないものだろうか。結局のところ、いまだに現実感を取り戻すための経過の途上なのか。そんなことをしている間に死期が訪れてしまう。

 

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先日、通っている利用者宅で利用者さんと一緒にDVDで「The Shape Of Water」を観た。最近は劇場公開からDVDで発売されるまでの期間が短いらしい。公開されて間もない(半年位?)映画だ。

 

アパシー状態から脱しておらず無感動状態のままこの映画を観ていたのだが、主演の発語障害をもつ女性を演じるサリー・ホーキンス Sally Hawkins から目が離せなくなってしまった。アパシーなのにこういったことが突然起こるので油断が出来ないのだ。冗談ではなく、本当に困る。

 

これまでも書いて来たように、映画や物語(そして希には現実の場)などで出会う女性(像)に突然惹かれるといった現象はこちらの状態とは無縁に突然起こる。そしてそれが自分の人生における何らかの豊かさに資するものであるかと考えると、かなり疑問なのである(むしろ困難が増す場合がある)。離人症からの回復期には生き延びるための幻想だったのだが、幻想であることに気づいてしまった今となっては必要なものではない。

 

もっともこれは自分のかつての傾向への批判であって、当時自分が惹かれていた女性たちが実は自分が思うほどには魅力のある人々ではなかったと言いたい訳ではない。理性と感情の動きは別腹なのである。実際にこう書いている最中でさえ、「The Shape Of Water」に登場するサリー・ホーキンスの姿を見るとまだ胸が高鳴るのを感じる(大分軽くなっては来た)。自分はこういったタイプの女性(像)にも惹かれるのか、と意外な発見でもあった。

 

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トラウマにより発語が出来ない障害をもつ中年女性が掃除婦として勤める研究施設に捕獲されている生物(半魚人?)と心を通わせはじめ…というお話。異種族間同士で惹かれあうといったモチーフも自分の琴線に触れるものがあったかもしれない。ちょっと篠田節子さんの小説「アクアリウム」に通じるものを感じた。

 

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サリー・ホーキンスは地味な中年掃除婦として登場するのだが、それまで表情も乏しかった彼女が怪物と惹かれ合うにつれ表情も豊かになってゆく過程も描写されている。研究施設で怪物に命の危険が迫ることを知った彼女は怪物を脱走させ、自らのアパートで匿ううちに何と裸で抱擁し合う関係にまでなる(!)。同居人に見つかってしまった瞬間の小悪魔的な表情に、女優の演技力への賛嘆と共に女性という存在の怖さと魅力を再認識させられ、息を呑む以外に手立てはないのであった。

 

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ラストは悲劇的な展開だがあることが起こり、美しく終わる。この映画のポスターでサリー・ホーキンスが水中に沈む映像のものがあるが、自分も高校時代に女性が水族館の巨大な水槽に沈んでいる(浮いている)情景のイラストを描いたことがあり、その辺りも琴線に触れる理由かも知れない。また有名なものではこんなレコードジャケットもある。人間には何かこういった光景への憧憬があるのだろうか。

 

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