その10 離人体験について(2)

●どのような症状があったのか

 

ある日突然「外界を生きている自分」と「内部からそれを見ている自分」が分断されてしまったことについては先述した。それからどれ程経ってからだったのかは記憶にないが、そう間を空けずに体感の異常を含む様々な症状に見舞われた。

 

ところで離人症と一口に言っても二つの側面があり、これはICD-10(国際疾病分類)においても区別されていることを最近知った。とあるサイトの文章が分かりやすいので引用させて頂くと、

 

(a)離人症、すなわち患者が自分自身の感性および/または経験を分離されている、よそよそしく、自分自身のものでない、失われている、などと感じる。

(b)現実感喪失症状、すなわち対象、人々および/または周囲全体が非現実的で、よそよそしく、人工的で、色彩がなく、生命感がないように見る。

 

引用元:離人・現実感喪失症候群(こころの病気のはなし/専門編)

 

 つまり自分自身の体感や思考、習慣や記憶などことごとくが自分のものでは無くなったと感じる側面と、自分が従来慣れ親しんできた周囲の環境や親しい人々への従来の親しみの感情や感覚が失われてしまい、世界がよそよそしく感じられる、といった二つの側面である。主体と対象の両側面と表現してもよいかも知れない(自分としてはこの片方のみが自覚される状態を想像できない)。自分の場合は両方ともにあり、しかもそうなってしまった自分という存在や周囲の環境、人々の背後に不気味さ、不吉さ、禍々しさといった(観念ではなく)「気配」「ムード」を感覚するという点が自分に特有のものであったと思う。

  

とりあえずは顕著であった症状から記す。すべての症状が一応は治まり、治ったのかなと思えるまでに10年以上の年月が必要であった。

 

 ○自身の内-外の分断に加え慣れ親しんだ環境や人々への既知感の喪失、加えてそのような状態に陥った自分や環境への不気味さの感覚。

 

自分自身と世界がまったく未知のものに変化してしまった様に感じられ、突然見知らぬ惑星にでも拉致されたようであった。また実に不思議なタイミングで発症の直後に家族ぐるみの引越しが決まり、住環境が変化したことも症状を悪化させるきっかけになったかも知れない。

 

発症からほどなくして、突然母が同じ市内の集合住宅を購入し越そうと思うがどうだろうかと言い出し、自分も賛成したのではあった(ちなみに当時両親と自分との関係は良好ではなく、発症についても当初は両親には伏せていた)。それまでは二棟の借家を借りて住んでおり、手頃な中古物件が見つかったのでこの機会に購入してしまいたいとのことであった。当時は以前に父の事業が失敗したこともあり母の方が収入も多く、このような家庭の重大事の決定権はすでに母にあった。また自分は社会への適応の不安や離人症以前からの精神の不安定さから独立の機会を逸していたので母の意向に従う以外の選択肢はないのであった(そのことで母を責めているわけではない)。

  

○睡眠時と覚醒時の意識の質の差異がなくなり、夜間に就寝していても意識のどこかが常に覚醒している感覚があった。また現実感が消失した反面、就寝時に見る夢(それまでに見たことのない不思議な悪夢が多かったが)の方に強いリアリティがあった。

 

このような状態で、以後は引っ越した先の真っ白な天井と壁の中で毎朝目を覚まし(先述のように睡眠したという感覚はなかったが)、自分が誰であるのかも分からず、いつかどこかの独房で目覚めているような、奇妙な感覚が続いた(この状態から朝の支度をし出勤をしていたのだからどうかしている)。

 

これらの感覚がどれ程の期間続いたのかはよく覚えていない。少なくとも数ヶ月は続いたのだと思う。内-外の分断感が希薄になり軽い鬱や落ち込み症状の方が顕著になるまでに数年は要していた記憶があり、一瞬たりとも気が休まらない期間であった。来る日も来る日も自分が見知らぬ別人になってしまったような感覚が続き、世界や両親、友人もまた見知らぬものになり、これが治るものなのか、生涯このままの状態が続くのかさえ判らず、自分は生まれながらにこのように運命づけられていたのであり、これから更に悪化して行くのではないか、気が違って行くのではないかという恐怖に責め苛まれながら生活していたのである。

 

 

以前もそうだったが、書き始めるとやはり頭痛が始まるようだ。このあたりで一度区切りを入れておく。推敲するだけの気力がないので後ほどする。

 

(続く)