その3「Toto The Hero」

今日は聖蹟桜ヶ丘マクドナルドへ行き覚慶悟著「離人症日記 書くことは生きること」を再読していたのだが、読むうちに悲痛さを感じやり切れない気分に襲われた。この著者が最終的に摂食障害で亡くなってしまったことは前に書いた通りだが、著作から垣間見えるこうも誠実で真摯な方が何故命を落とさねばならなかったのだろうか。自分もこれまでに散々精神的な苦しみを経験して来ただけに、感情移入は避けられない。

 

ちなみにこの著者の著作は2冊と紹介したが、亡くなるしばらく前にさらに1冊僕の摂食障害 Living together(2013年 文芸社)という本を出版している。現状では内容を受け止めるだけの余裕がなさそうなのでいずれ読んでみたいと思っている。

 

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期せずして突然自分の心を揺り動かし影響を与えた映画・もしくは女性像についての話題を続ける。まだ離人症を発症していない20代の中頃に、自分の人生の半分は終わってしまった、後は老いてゆくだけなのだ、との悲観的な思いが頭を離れず、絶望していた時期があった。幼児期から何かと悩みがちな性質ではあったが、このような観念にとり憑かれるという経験は初めてだった(しかしこの映画を観た後、ほどなくして離人症を発症し自身の来るべき死の観念に苦しめられる事になるので前兆のようなものではあったのだろうと思う)。

 

そんな時期に、どこで知ったのだろうかベルギーの新人監督(ジャコ・ヴァン・ドルマル Jaco Van Dormael - 後に「八日目」「ミスター・ノーバディ」などの作品を発表する-)による映画Toto The Hero」を知り、一人で観に行ったのだった。当時特に映画が好きだった記憶もなく、なぜ突然観に行く気になったのかよく分からないが、あらすじに惹かれるものがあったのだと思う。

 

 

(ちなみに上記サイト中に「生まれたときに産院で火災が発生。避難するときに取り違えられたトトとアルフレッド。…」という記述があるがこれは「トトがそう確信している」ことであり、真偽は不明。)

 

 

www.aoitori.be

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幼少期から自分は不幸な生い立ちであったと思い続け生きて来た主人公トマ。老人となった彼はあるきっかけから自分の人生は幸福に満ちていた事を悟り、思いもかけない方法でかつてのライバル、アルフレッドを救い身代わりとなって死んでゆく。

 

ありふれた人生の中に潜んでいたささやかな幸福の回想。そこにはありふれた人生への肯定があった。この映画を観てそれまでの鬱々とした心情が一気に晴れてしまったのを覚えている。悲劇的なラストをはじめ各所に諧謔が効いているその作風も気に入った。老いた主人公役の役者が素晴らしく、老いへの漠然とした不安を払拭してくれたということもあった。その後同じ映画館へさらに2回(日比谷シャンテシネでの単館上映だった)、離人症を発症した後に1回(高田馬場)観に行った。

 

老トマ役のミシェル・ブーケ(Michel Bouquet) がとてもいい。

 

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検索してみるとさらに後年の写真があった。実にいい顔をしている。

 

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この映画は少女期に焼死するトマの姉役を演じたサンドリン・ブランク Sandrine Blancke が注目されることが多いのだが(当時の自分も当然注目したが)、今となってはやはり老トマ役のミシェル・ブーケが忘れられない。

 

ストーリーも良く出来ておりなかなかの名作なのでご覧になりたい方は申し出て頂ければDVDをお貸しすることが出来ます(下はサントラのジャケット写真)。

 

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ラスト近くで老トマが同じく老いた青年期の恋人と再会しキスを交わす美しいシーンがあったのを思い出した。監督はこのシーンを高齢化社会と化した近未来に設定しており、街を行き交う人々や街頭で演奏するブラスバンドのメンバーことごとくが老人で当時はやや異様に感じたものだが、その未来は実現しつつある(高齢者バンドとなったローリング・ストーンズを見よ)。

 

いまだに極たまにだが観返したくなる作品ではあるので手元に持っておこうと思い、数年前にDVDを購入した。人により作品の好き嫌いは分かれるようだ。

 

これもアニマ的女性像とはあまり関係がなかった。

 

その2「幻の光」と江角マキコ

記事のタイトルに日付を入れているのには理由がある。他のサイトやblogなどを参照する際に、現在目の前にある記事がいつのものかが判らないものがあまりにも多いと思うのである(また直前直後の記事への移動手段が不明なサイトも少なくない)。しかし記事の右上には大きく目立つフォントで記事の書かれた日時が表示されている事に気がついた。さてどうしたものか。

 

(※後日注。やはり煩雑な印象なのでタイトルに日付を入れるのは止めることにした。)

 

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離人症からの回復期において、期せずして心の支えになってくれた作品がある。それを「映画」と先述したのだが、まずは映画の元となった小説について言及すべきだろう。宮本輝さんの「幻の光」である。映画は江角マキコさん主演で是枝監督により手がけられている。どちらも不朽の名作の名に値する作品である。

 

www.youtube.com

 

後にお茶の間では勝気なキャラクターとして売り出される江角さんの女優デビュー作であり、この作品ではまだ初々しい若妻の役を演じている。作品全体に漂う静かな溟さそして能登の風景の荒々しさが理性では捉え切れない人間の生涯の浮沈を暗喩しているようで、当時の自分の内に蠢いていた非合理的な何ものかと深く共鳴するものを感じていた。「現実」という場にもこのような溟い場所があるのであれば、そこで自分は生きてゆけるに違いないという安堵感があった(これは後に山谷など実在の地域への憧憬となる)。

 

映画内での江角さんの演技には好感を持ったし、能登の海岸で撮影されたモノクロのヌード写真集も入手してはいたが、こう書いてみるとこの作品に関しては、女性像というよりも作品の持つ全体のムードと自分の心性が共鳴したと表現するのが適切である気がしてきた。

 

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ここで注記するがこの記事において自分が気に入っている映画や女性を紹介したい訳ではない。ある物語の世界観や女性像に出会うことにより、意図せずして突然精神内の何かが活性化する現象について書いている。この現象が良いものか悪いものかは自分にはよく分からない。精神が陥る罠のような気もするがこれにより離人症を生き延びることが出来たのも事実なのである。

 

と書いてはみたものの結局のところ単に自分の好きなものの紹介記事のようになってしまい、ちょっと面白くない。

 

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この方のこの記事は今まさに自分が読むべきものと思う。備忘のためにリンクしておきます。「基底欠損」については昔から自分も気になっていた。

 

meisouizenn.blog.fc2.com

その1 2018.09.12

いつかはblogという空間に、自分の主に離人症/クンダリニー症候群/魔境体験(以下「離人症」)について記録しておく機会があるかもしれないと思いながらかなりの時間が経った。今がまさにその時だと言えるのかどうか、よく判らない。

 

気が進まない理由ははっきりしている。離人症状とそれに付随する症状(と呼ぶべきなのか)や観念、イメージ等の体験は比較的珍しいものであるように思えるので記録しておく価値はそれなりにあると思うのだけれども、その時期(に限らないのだが)の生活について描写を試みるのであれば、必然的に当時の対人関係における自分の不甲斐なさ、身勝手さ、未熟さを直視しなければならない。

 

つまり女性との恋愛や性愛についての回想は避けられないのであった(悪い記憶だけではないが)。twitterではこの事についての言及を意図的に避けてきた。そもそもtwitterを始めたきっかけは自身の思考や回想、空想などについて人目を憚らずに呟いてゆくことを目的にしていたのだが、もはやその目的に適わなくなって来たようにも感じている。これは誰が悪いわけでもないのだが、フォロー/フォロワーともに少なかった頃のあの空気感がときに懐かしく思えたりもする。自分はこのblogを書くことによって人様から興味を向けられることを望んではいない。出来れば壁紙の図柄程度のものでありたい。

 

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ここで一度話題を変える。昨日、室内に積んである本の山の中から覚慶悟著「離人症日記 書くことは生きること」(2007年・彩流社)を引っ張り出してきた。この方にはもう一冊「よろしく、うつ病―闘病者から「いのちがけ」のメッセージ」(2003年・同社)という著作がある。

 

大学卒業後に公務員として福祉職に就き、うつ病を発症、自殺未遂などを経て退職後にさらに離人症を発症という経歴を持った方のようだ。二冊共にしっかりとした内容の著作だったが、web上で調べてみると最終的には過食嘔吐を伴う摂食障害にも陥り、体重が28kgまで落ち込み救急車で搬送される最中に亡くなったそうだ。おそらく50代であったろうと思う。「離人症日記」の最後に僅かに希望らしきものが見えるだけに、残念である。自分が今ここで曲りなりにも生存していることが不思議な気がする。

 

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現状の話題に戻る。しばらくの間こうしてアパシー状態が続いているわけなのだけれども、予期せぬ瞬間に突然感情が揺り動かされる場合があり、あまりにも唐突で困惑することがある。先日利用者宅で相伴した洋画を鑑賞していた最中にそれが起き、さらに動揺が加わった。    

 

しかしこれも思い返すに、過去には何度か経験しているものなのであった。おそらく、物語や映画に登場する、あるいは現実に存在する女性などをきっかけにしてこちらの(ユングの言う)「原型」が刺激されるようなのだ。

 

自分は女子高生に興味はないのだが、女子高生に憧憬を抱きこじらせる中年男性や、突然男性アイドルや韓流スターに熱中し始める中年女性の心情が分かる気がする。異性原型としてのアニマもしくはアニムスが無自覚のうちに活性化され、熱中状態に陥るのだろうと思う。もしくは隙を突き何者かにとり憑かれたと考えてもよいかも知れない。       

 

自分の場合も、離人症からの回復期(「快復」という言葉は好みでない)において実在しない(と取りあえずは言っておく)女性のイメージにとり憑かれ、それがいわば執着ともなり、一方で生還のための支えともなっていた(まるでポケットに忍ばせた女性の肖像やグラビアの切れ端を心の支えにする兵士や囚人のようだ)。今回の困惑でそんなことも思い出した。

 

ということで次は映画について書く。

 

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やや頭が朦朧としているので文章が拙いかもしれない。とりあえず今回はここで一旦中断。

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 (写真:2018.09.07 新百合ヶ丘にて)